夫に初めて「離婚したい」と告げた時、夫は驚き慌てふためきました。
あたかも、わたしがひどい人間で、自分は被害者とでもいうような顔をしていました。
きっかけは何?と夫から何度も問い詰められ、答えても信用しない夫に対し、「わたしが今まで死ぬほど辛い日々を送っていたことも、この人にとっては取るに足らないことだったのだろう」と、妙に冷めた感覚で思ったものでした。
きっかけなんて多数、日々の積み重ねです。
ただ、「離婚」の2文字が確信に変わった瞬間はあります。夫が知りたくてたまらなかった離婚を決意した瞬間はこの3つです。
産後、離婚を考え始めたきっかけは夫の言動

後になって離婚を拒否してきた夫にとっては皮肉ですが、わたしが離婚を考え始めたきっかけは夫の言動でした。
「このままだと離婚も視野にいれないといけないな〜。」という。
脅しだった、と言っていましたが(自分に従わせるためだったのでしょう)。
初めは、産後と育児でボロボロのわたしは、子供が生後数ヶ月だったこともあり、夫との関係修復に必死でした。「なんでそうなるの?話し合おうよ!」というスタンスでしたが、それから1年間の間に着々と離婚に向けて心を整理整頓していったのでした。
一方夫は、わたしが彼を怒らせないよう身を潜めた生活をし続けたおかげで(?)、自分のご機嫌を取り戻し、正月には「今年はマイホームを買います!」と意気込んでいました。
なんとまぁ、知らぬが仏とはこのことです。
夫との離婚を決意した瞬間はこの3つ

夫の人間性が変わらないことを悟った時
「この人は、今までも、これからも、この先ずっと変わらない」と悟った瞬間です。
それは、談笑しながら夕飯を食べている時でした。
夫の何気ない一言。笑いながら「この家に引っ越してきて、何1つ良いことがなかった。新居は、絶対お前の実家から離れた場所にしたい。」と言ったことです。
この家に引っ越してきた時期とは、出産を再来月に控えた臨月の時。
それから子供が1歳になるまでの約1年間。夫と離婚の話が出るほどの産後クライシスとワンオペ育児、義理の両親からの嫁ハラで心底悩み続けた、地獄のような産後でした。
わたしを支えてきたのは、実家の両親でした。
夫の代わりに子供を一緒に育ててきたのも、実家の両親でした。
わたしは、夕食を食べながら平然と笑顔で話す夫の顔を見ながら「離婚は絶対に。」と胸に誓ったのでした。
子供が自立して巣立った後、夫と2人の生活が考えられなかった時
子供のために結婚を継続させる人達もいます。仮面夫婦、とでもいったら良いでしょうか。
子供はいつかは大人になり、20歳前後で自立して家を出ていくでしょう。
わたしの心の拠り所は子供のみでしたが、子供が自立した後、夫と2人の生活が全く想像できませんでした(拒否反応含め)。
20年後、わたしは50代。夫は60代。
もし自分の両親が死んでいたら、義理の両親と夫との生活。
その時、「誰も味方がいない」と気づきました。
20年間を子供のために我慢し続け、そのあとは何も残らない・・わたしはその人生の未来予想図を何が何でも受け入れられなかったのです。
夫婦関係が子供に悪影響を与えていることを理解した時
子供の前で何度も夫婦喧嘩をしたり、夫婦の間で会話がない月日が続くと、なんとなく子供が子供らしくなく(無邪気さがなく)、萎縮して怯えている感じがしていました。
また、このままだと子供が「家族とはこういうものだ」と思うようになってしまうかもしれない、と不安視していました。
これがまず1つの悪影響です。もう1つは、離婚を決意した瞬間。
夫との激しい口論が数日続き、子供を抱っこ紐に入れたままめまいで倒れ、体調を崩して数日間寝込んだ時がありました。
夫がまだ帰らない暗い部屋で、寝込むわたしの隣で泣きながら「ママァ〜!」と叫びベッドに張り付く子供を見て気づきました。
わたしが健康でないと子供を抱くこともできないし、わたしが笑顔でいられないと子供は笑顔になれない、と強く心底感じ、「離婚しなければ」と思いました。
子供が一番大切なのに、このままでは子供を守ってやれないと悟った瞬間です。
まとめ

いかがでしたでしょうか・・。
今思えば、離婚は正解だった。
でも、離婚するまではものすごく悩みました。葛藤もしたし、「わたしさえ我慢すれば丸く収まる」と、自分に思い込ませようともしました。体の方が先に悲鳴をあげて無理だったんですけどね。
でも、離婚の決め手はこの3つでした。
特に、一番大切な子供に悪影響を与えていることがわかった時は「離婚しなければ!」と強く、本当に強く思いました。このままではいけいない、と思ったんです。
離婚は決してい喜ばしいことではないけど、無理な思いをして続ける結婚生活はみんなが不幸になります。夫も、義理の両親も、自分の両親も、子供も。
どうせなら、別れてお互いに違う道で幸せになっていきたいところです。人生に与えられた時間は限られていますから。