【産後クライシスブログ第4話】
自宅に戻る決意をして、産後2ヶ月ぶりに帰宅した。
今から慣れない育児に忙殺される日々と、夫とバトルを繰り広げる1年間が始まるとはつゆ知らずに。
そう、この頃のわたしはまだ離婚の「り」の文字すら考えたことはなかった。
【産後クラシスの始まり】妻子より仕事優先の夫
夫は相変わらず早朝出社し、帰宅すると寝ているわが子の寝顔も見ずに寝支度をさっさっと済ませて寝る、というスタイルだった。
わたしも夜泣きに備えて21時頃に就寝していたので、夫の顔を見ないことも多々あった。
「親会社への転籍を狙う夫の邪魔をしてはいけない」という思いが常に頭の片隅にあった。
それで、夫と寝室は別にしてわたしは子どもと2人で寝ていた。
夫を起こさないように夜間授乳などをしていたが、夫はよく起きて仕事の話を機嫌よくした。
内容は簡潔にいうと、自慢だった(笑)
職場での自分の評価の高さとか、そういったもの。
夜泣きで小刻み睡眠のわたしにとって、授乳しながら聞かせられるその話は超退屈なものだった。
また、わたしは会社を辞めて1年近く社会に出ていなかったので、夫が楽しそうに話す職場の人間関係の話が時折うとましく感じた。
「どうしてこの人の生活は何1つ変わらないの?」と思った。
「わたしは、妊娠出産、育児と今までとは180度違う生活や自分の体に困惑し続け、きつくてたまらないのに」と。
夫の意識は、産後の妻や生まれたてのわが子よりも常に仕事に向いていた。仕事以外のことには、興味がないようだった。
【産後クライシスの始まり】夫のいない育児
その頃、産後3ヶ月目にして母乳育児が軌道に乗った。
気持ち的にはいくぶん楽になり、子どものことを愛おしいと思えるようになってきた。
ただ、子どもは昼も夜も長くは寝てくれず、敏感な性格の子どもとの2人きりの毎日にどんどん疲弊していった。
そんな中、見かねた母が、平日だけ17〜19時に来て手伝ってくれるようになった。とても頼もしかった。
子どもの入浴の補助をしてくれ、実家の夕飯を2人分(わたしと夫)持って来てくれ、さらにはわたしが夕飯を食べる間、子どもを見てくれた。
とても暑い時期で母は日傘をさし、首に日除けのストールを巻き、サングラスをかけた格好で毎日歩いて来てくれた。
わたしは、母に対して頭が上がらないという感謝や申し訳ない思いと、いつか母がストレスを爆発させるんじゃないかという不安と、母に一切感謝をしない夫に対しての不信感を抱いていた。
また、子どもの成長や日々の気づきは、いつの間にか夫ではなく母とシェアすることが多くなっていった。
産後クライシスを加速させたのは義理の両親の【嫁ハラ】
【嫁ハラ】「孫を取られた」と言った義父
出産の前に、郊外にあった自宅からわたしの実家のそばへと引っ越した。
理由は簡単。郊外の住まいは田んぼだらけで、車を運転しないわたしにとって不便極まりなく、中心地までは片道電車で2時間かかった。
妊娠中は妊娠糖尿病と橋本病のため、産院ではなく中心部の総合病院を紹介された。通う頻度も高く、妊娠中はその大変さを思い知った。
もちろん交通費もバカにならなかった。
あとは、産後すぐに働く予定だったので実家に近い方が何かと便利、という話も聞いていた。
さらに、夫が親会社に転籍を果たせば勤務地はその中心地だった。
夫は私達の引っ越しが決まった後も義父母に話しておらず「あとは自分に任せておけば大丈夫」と言っていた。
実際はもちろんその反対で、義父母からは大反発を食らった。
もう引っ越しは決定していたので遂行するしかなかったが、その時こう思った。
「夫はあてにならない。」
義父は「嫁の実家に孫を取られた」と言っていたという。
それからも、なにかと義父はわたしの実家や両親をディスってきた。
義父はある意味で可哀想な人だが、当時のわたしはいつも怒りが収まらなかった。
【嫁ハラ】孫を「息子似だ」と言い続ける義母
会うたびに、子どもを見て「◯◯くん似ね!!」「◯◯くんが赤ちゃんの頃に瓜2つ!!」と夫の名前を君付けで連呼するのが65歳の姑。
40代のバツイチの息子のことを、普通、君付けで呼ぶのだろうか?
それはそうと、子どもはどちらかというとわたしに似ていて、そこまで連呼するほど夫に似てるとは言い難い。
そもそも生後数ヶ月の赤ん坊だし。
腹たつことに、深夜に生まれた子どもに朝一に会いにやって来た義母は子どもを見るなり「ママに似てるのかしら?」と言い、「数人の助産師さんからもわたしにそっくりだって言われました。」と返すと、「でも、顔って変わるからね!!!そう、赤ちゃんって顔変わるのよ!!」と強い調子で繰り返し言ったのだ(笑)
にも関わらず、いまは断固として「息子似」と言う。
ちなみに、義両親は夫の前妻との子と縁を切られている状態だ。
今回は、どうしても孫を「自分たちの物」にしたいように見えた。
【嫁ハラ】産後、突然家に押しかけてくる義理の両親
義理の両親は、私達が郊外の自宅に住んでいた時と同じように毎週突然家に来るようになった。
義父は家庭菜園が趣味なので「沢山できて困っているから。」と言い、トマトやグリーンリーフなどを山のように持って来た。
実は、虫が苦手なわたしは虫の沢山ついたそのグリーンリーフが苦手で、夫は食べないし、いつも腐らせては捨てるのが嫌だった。
冷蔵庫の中はかさばるし食材を捨てるのも不本意だったが、義両親は何度断っても持ってくるのだ。
彼らにとってわたしの示す「いりません。」や「もう食べれません。」、「行きたくありません。」などの拒否反応は無意味に等しかった。
そして初めは夫がいる週末だけ来ていたのが、夫のいない平日にも来るようになった。
わたしは既に義両親が苦手だったし、表面上は笑っていても「孫を取られた」というような人たちなので内心何を思っているかわからず、それは大変なストレスだった。
狼狽したのは、部屋にわたしの下着を干していて「ちょっと片付けるのでまだ入らないでください!」と言ったにも関わらず義父が戸を勝手に開けて入って来たことだ。
息子夫婦の家は「自分の家も同然」だと勘違いしていたのかもしれない。

【産後クライシス】夫のことがどんどん嫌になる
義両親問題に他人事の夫
そんなこんなで、まず夫と口論になったのは義理の両親のことだった。
夫は両親に対してノータッチだった。
「そんなのお互い適当にうまくやってくれよ。」「なんでお互いいつもそうなんだよ!」といつも面倒くさそうになじった。
わたしは夫に対し「お互いって・・、あんたの親でしょ!ていうか、なんで自分は他人事なの?」とよく突っ込んだものだ。
でも、夫は常に第三者で部外者だった。それはわたしを途方もなく孤独にさせた。
わたしの不満は、私達夫婦に対して「要求」はするけど感謝や援助はしない義両親のことと、義両親との問題は「自分には関係ない」と思っていて、わたしの両親に感謝しない夫のことだった。
してもらって当然の夫
この期間、子どもを育ててきたのはわたしと母だった。
わたしの両親は私たち夫婦に「金銭・時間・労力」を全て援助した。父は夫の代わりに、子どものオムツやミルク、私たち夫婦の食品などの買い出しを手伝った。
母は週5日ヘルパーに来て、いつも夫とわたしの夕飯を2人分持って来たり、もしくはわざわざ買って来た。
既に仕事を退職し収入の減っている両親の懐具合が気になり金銭の支払いを申し出たが、あっさり断られた。
母は家に来ると「しなくていいよ」と言ってもいつも溜まった洗濯物を畳み(夫のパンツまで)、溜まった食器を洗ったり散らかった部屋の中を片付けた。
それでもわたしの両親は、義両親のように「週末は家族揃って家に来なさい」など何一つ要求をしなかった。
なのに、夫は休みの日ですら徒歩15分のわたしの実家に顔を出すことは一切なかった。
一言ぐらい感謝の気持ちを伝えてほしいと思っていたのに。
わたしは心苦しかったが、母は「別に来てほしくない。あんたと孫のために手伝ってるのよ。でもあんたが可哀想。わたしはお父さんが協力的だったから。」と言った。
感謝の気持ちが1mmもない夫
夫はいつも、わたしと母が汗だくになりながら子どもを入浴させ、片付け、寝かしつけた後の綺麗な部屋に毎日帰宅した。
片付いた室内、脱衣所には畳まれた夫の下着とパジャマ、用意された何品もの夕飯、冷蔵庫の中には翌朝の夫の朝食、既にスヤスヤ寝ている子ども。
きっと、大の大人が2人がかりで大変な思いをしてこの状況が作られているとは思いもしなかっただろう。
ある日わたしは、夫に言った。
「今日は子どもが泣いて大変だったよ。母にはやっとさっき帰ってもらった。母は今から遅い夕飯だし、父はいつも母のいない食卓で先に1人でご飯食べているんだって。もうちょっと感謝したら?」と。
すると夫は、平然と言った。
「そのために実家のそばに引っ越したんでしょ?いいじゃん。うちの両親に比べたら毎日孫に会えていいよなー。」
母の作った夕飯を食べながら。母の畳んだ洋服を着て。
わたしはすぐに返答できないほどの怒りに襲われた。
感謝の気持ちが
1mmもねぇ!!
それが夫だった。
むしろ「して当然だ、自分の両親に比べたら羨ましい。」と言っている。
夫は自分がしてないがために「育児の過酷さ」を知らなかった。
さらに夫は家庭でもギブアンドテイクを求めていて、自分は外で稼いで来てるんだから他のことは妻がやって当然だ、例え実母の助けを借りようとも自分は関係ないと思っているらしかった。
たまに孫と会って可愛がるだけの義理の両親と、毎日汗だくになって孫やわたし達夫婦を援助してくれるわたしの両親との違いもわからないようだった。
産後クライシスから家庭内別居状態へ
わたしと夫は、お互いの両親の件で度々激しい口論をし(場合によっては深夜まで何時間も続き)、決してお互いが折れることはなく疲労困憊した。
次第にお互いの両親の話題は極力避けるようになり、不満は口に出せず、夫との関係はどんどん悪くなっていった。
肝心なことを話せないので、いつも胸には重い引っかかりがあった。
さらに、大切なことを話し合えない関係性だと他の些細な日常の出来事や、嬉しいことなども話せなくなるのだと思い知った。
夫とは話すことがどんどん無くなっていった。
そんな折、夫に親会社への出向が決まった。
続きは以下よりどうぞ(全9話)
