離婚

産後クライシスブログ第7話

【産後クライシスブログ第7話】

お盆の時期が迫っていた。

正月に次ぐ、憂鬱になる年間の大イベントの1つだ。

義実家に帰省したくない

帰省したい人っているの?

わたしは、1年のうちのこの2回・・正月と盆に義実家へ行くのが心底嫌だった。

価値観の違い

義実家は、「〜家」という一族を重んじている。

昔ながらの古い価値観を、大切にして生きている人たちだった。

それに比べ、わたしの育った家庭は超核家族で、現代的な考えを持っていた。

実の両親と義理の両親はたった数歳しか違わないのに、まるでひと時代違うような価値観の差があった。

わたしは子どもの頃から、昔ながらの田舎とか、祖父母の家に泊まるということがあまり無かったし、盆も正月も自宅でいつも通りに過ごしていた。

友人達はみんな旅行に行ったり帰省しているので、なんとまぁ暇で退屈な休みだった。

正月は、子ども達がおせちをあまり食べないので母は作るのをやめて、元旦の朝にトーストとハムエッグなんてざらだった。

ドラマで見かけるような、ベタな田舎の風景や、昔ながらの風習に憧れた。

けれど、1週間に1度は自宅に押しかけてくるのに「なかなか会いにも来ない!」と憤慨するような義両親が、同じ県内に住んでいるのに「盆と正月は泊まりに来てほしい。それが当たり前だ。」と言うことには違和感を覚えた。

義両親や夫から見れば、わたしの育った家庭の価値観は異様でイレギュラーだった。

けれど、わたしはそれが普通だったし、何よりも強制されるのが大嫌いなので、義両親や夫に対する反発心はどんどん膨らんでいった。

嫁ハラ上等の義両親

そもそも義両親は嫁ハラ常習犯だった。

普段、義実家に行くと、義両親の話にひたすら笑顔で相槌を打ち、セクハラ発言をされても笑顔で受け流す(夫はもはや空気と同じ)ことになる。

いつも義両親から質問攻めに合うが、1つ1つ答えているうちに姑の興味は別のことに移り、新しい質問によってわたしの言葉は遮られる。

キッチンに立つ姑に「手伝いましょうか?」と声をかけてもキッチンに招き入れられることは決してない。

「これ並べて。」とか言われるだけなのだが、一応声をかけないといけなくて、その様子を満足げに舅が見ているという図がわたしに言わせれば、「なにこのやり取り、めんどくせぇ。」だった。

なのに、泊まるとかあり得ない。

しょっちゅう会っているのに、泊まりなんてなんの罰ゲーム?わたしだけがひたすら気を遣う拷問やん(笑)と、思っていた。

驚くことに、義両親は私たち夫婦に子どもができる前(新婚時代)から、週1回の自宅突撃訪問をかまし、最低2週間に1度は夫婦揃って義実家へ来ることと、盆と正月の泊まりも求めてきていた。

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 出来のいい義弟の嫁

夫には弟がいる。

当時、夫は40歳。義弟夫妻は38歳。

わたしは最年少の31歳だった。

義弟夫妻は結婚10年目を目前とし、小学生の息子が2人と、3歳の子どもがいた。

一言で言うと、絵に描いたような家族。

仲が良く理想的な家族で、夫婦関係も夫の両親ともうまくいっている様子だった。

わたしは年上の義弟夫妻のことを「〜さん。」と名前で呼び、彼らはわたしのことを「〇〇ちゃん」と名前で呼んでくれた。

わたしは敬語で、彼らは親しみを込めてため口で話してくれた。

義弟の奥さんは、とても素晴らしく優秀なお嫁さんだった。

明るく朗らかで、嫌味がなく、さっぱりとした性格。

でしゃばらず、でも場の雰囲気を明るくしてくれる、気の利いたおおらかな人だった。

化粧っ気はなくて小柄で、実年齢よりも随分若々しく見えた。

ここまで書いていて思った。

わたしと正反対だと(笑)

もちろん姑とは阿吽の呼吸で、まるで本当の親子みたいに自然体で付き合っているように見えた。

姑は、義弟の奥さんに対し随分と心を許しているようだった。

わたしは、彼女がどういう心情で姑と接しているのか知りたくてたまらなかったが、わたしと2人きりの時も絶対に本音で話してくれることはなかった。

彼女は、その笑顔の裏で、余計なことは一切言わないようにしているように見えた。

それはまるで、夫の前の離婚騒動(義両親と一悶着あった)を知っているだけに、自分の家族と義両親以外とはあまり関わりたくない、巻き込まれたくない、と思っているようにも感じた。

わたしは、「お互い大変ですよね!」とか言いながら愚痴をこぼしたかったのだが、彼女は義実家の良いことも悪いことも一切言わず、会話は取り止めのないことばかりで、彼女との間にはいつも見えない壁があるように思っていた。

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差別化される長男の嫁

けれど、長男の嫁はわたし。

いくら年上でも、義両親との付き合いが長くても、義弟夫妻はわたしの弟と妹になるのだ。

義両親の態度は、私たち夫婦と義弟家族に対して、全く違った。

義弟家族は片道6時間以上かかる県外に住んでいた。

1年のうち、帰省するのは多くて3回。

ゴールデンウィークと盆と正月だ。

仕事の忙しい義弟に加え、末っ子の子どもが生まれたばかりで帰れないことも多かった。

末っ子が生まれて、義弟の奥さんは1年以上義実家へは帰省せずに地元に子どもと残っていたそうだ。

わたしは内心思った。

「羨ましい・・」と。

年に義両親と会うのは多くて3回。

しかも滅多に会わないから、会うときは喜ばれ、色んなものを買ってもらえる。

義両親は倹約家であまりお金を使わないのだが(私たち夫婦にまでお金の使い方を指図してくる)、この時ばかりはシルバニアファミリーの家やゲームなどを買ってあげていた。

さらに、義弟家族は奥さんの両親と2世帯住宅で同居していた。

もう、文句なしじゃないか!!!

かたや、わたしは、今後の生活を考えて妊娠8ヶ月の頃に実家の近くに引っ越した時に、「孫を取られた」と大クレームを浴びた。

普段は、連絡魔の姑とのやりとりが面倒だった。

会った2日後には「元気にしていますか?」というメールが届く。

また、夫が義両親の電話に出ないと、わたしの携帯に「◯◯くんが電話に出ないの!すぐに連絡するようにあなたから言って!」と電話があり、姑から早口でまくしたてられた。

毎週の自宅突撃訪問に加え、仕事の合間をぬって義実家へ夫婦揃って月2回訪問しても、「少ない。親不孝もの。」と言われた。

驚いたことに、義両親は弟家族に対しては、まるで別人のように振舞っていた。

義弟家族に対しては寛容で、無理強いもせず、連絡もしつこくすることはないし、義弟の奥さんの両親をいつも褒めていた。

役に立たない夫

私たち夫婦は婚活パーティーで知り合った再婚同士で、交際期間は1年間だ。

それに対して、義弟夫妻は学生時代からの交際期間を含めると義両親との付き合いは10年を超えていた。

それでも、長男の嫁は義弟家族を迎える立場であり、わたしに言わせれば何一つ優遇されていなかった。

義弟の奥さんがお客さんであれば、わたしは「長男の嫁」だからと、自分の意見も尊重されず、義両親のいいなりにならざるを得ない立場だった。

最悪だったのは、夫が対して役に立たなかったことだ。

夫は前妻との離婚で義両親と大揉めし、その関係はまだ修復しきれていなかった。

続きは以下よりどうぞ(全9話・未完)

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