離婚

産後クライシスブログ第8話

【産後クライシスブログ第8話】

夫婦関係は悪化を辿っていた。

もうお互いに顔を合わせても緊張が走るだけで、会話はほぼ無くなっていた。

夫が、食事中に顔を向かい合わせながら「何を話していいかわからない。」とボソッとつぶやいた一言が忘れられない。

わたしも、そう思っていたから。

波乱のお盆の幕開け

義両親に対する反発心の理由

お盆が近づいてくると、やはり夫が「親父が、今年もみんなで集まろうって言ってる。」と言ってきた。

どうやら今回は、義弟家族の末っ子の子どもさんと奥さんも揃って帰省するらしい。

舅は大張り切りしているようだ。

「できたら泊まってほしいって。」と夫が言った。

わたしは即断った。

「無理です。」

その決意は夫に有無を言わせないほど固かったのだが、どうやら鈍い夫にも伝わったらしい。

「まぁいいけど夜7時から実家で夕飯だってさ。」

「は?」

わたしは怒りで震えた。

(ちなみにわたしの夫に対する口癖は今でも「は?」だ・・。)

その理由は1つ。

去年のゴールデンウィークの出来事だ。

まだ妊娠していなかったわたしは共働きで激務な職場にいた。

そんな中、義弟家族が帰省するからと義実家に集合がかけられたのだ。

夕飯を17時スタートで。

義両親に言わせると、「子どもたちがいるからお風呂や寝る時間に響かないように、宴を早めに開始したい。」ということだった。

その理由には賛成したものの、結局間に合わせることができずに、17時を少し過ぎて到着した。

舅は、翌日夫に文句の電話をかけてきた。

彼らは、正面切ってはわたしに直接言わないのだ。

後からネチネチと夫に文句を言い、時が過ぎても「あの時は」と言い続ける。

夫は義両親から責められるのが億劫で、そんな風になるなら黙って言うこと聞いていた方がマシ、とますます義両親のいいなりになった。

舅にとっては、一族の長である自分が決めた時間を守らないということが問題なので、指定した時間に10分遅れようが、1時間遅れようが同じことだった。

一族よりも個人を尊重する家庭で育ったわたしには、実に堅苦しくて呼吸困難になりそうな義両親だった。

そして今回。

生後5ヶ月の赤ん坊がいるのに、食事スタートが19時?

ざけんじゃねー!!!

わたしはすぐさま夫にぶちぎれた。

「去年は子どもが理由で17時スタートだったよね?しかも遅れて怒られたし。わたしは毎晩遅くても18時に寝かしつけしてるんだけど。ネントレ頑張ってやっと習慣づいてきたのに。夜間授乳もあるしきついんだけど!夕方スタートにしてもらって!!怒」

もちろん夫の反応は薄く、うるさい女だなと言わんばかりに軽蔑した表情をしただけだった。

許したら一生義両親の言いなり

もう1つ、わたしには譲れない思いがあった。

ここで義両親の言うことを聞いたら、これからずっと義両親の言いなりになる・・!

切実だった。

今までわたしは義両親にノーと言えずにきた。

もしくは、ノーと言っても決して受け入れてもらえずにきた。

小さなことから大きなことまで。

例えば、小さなことだと「植物育てるの苦手だし、枯らしたら申し訳ないので要りません。」と何度言っても、姑の趣味の鉢植えを無理やり持たされた。

結局枯らし、狭い賃貸のベランダに捨てようにも捨てられず、土の入った鉢を何個も放置する羽目になった。

大きいことだと、陣痛が始まった時に「どうしても会いたい!」と言われ、夫に断るように伝えたのに、夫の阻止を振り切って義両親が病室に来たことだ。

しかもその時夫は不在。

陣痛が苦しくてご飯も食べられないのに、1人で義両親の相手をする羽目となった。

後から聞いた話によると、電話口で阻止する夫に対し、舅が「自分の子どもなのにどうして行ったらいけないのか!!」と怒鳴ったそうだ。

その発言も「来ないでほしい。」と懇願しているわたしに対して人権無視はなはだしく、理解不能だが、きっと夫の阻止なんで鼻くそ程度のものだったのだろう。

そこでわたしは1つ学んだ。

“小さいことでも1つを許せば、なだれのように他のことも全てを許さないといけなくなる。肝心な時に絶対に断れない。”と。

結局どこかで義両親とは一線を引かないといけなかったのだ。

夫にはずっとそれを求めて来たが、夫は親との揉め事を面倒臭がって耳を傾けなかった。

そんな夫婦のいく果ては?

言わずもがな離婚である。

ちなみに、安産祈願の神社と予定を義両親に勝手に決められたことも悲しかった。

わたしは夫婦だけで行きたい神社があったのだが、「じゃあ戌の日は〇〇神社に一緒に行きましょう。」と有無を言わせない口調で舅から決定事項を告げられた。

だから、今回こそは・・わたしは譲れなかったのだ。

ここで言いなりになったら、一生言いなり!!!!!と自分に言い聞かせた。

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家庭の揉め事に他人事の夫

どうにか時間を早めるように夫にお願いしたが、夫は返事もろくにせず悪態をついた。

聞いてるのか、聞いていないのかわからない様子だった。

夫は姑にメールで開始時間の調整を依頼していたようだったが、少なくとも2回は断られたようだ。

「お父さんもこの日をずっと楽しみにしているし、あんた達の都合くらいなんとかならない?」という理由だった。

子どもの寝かしつけやグズリなどの危惧を伝えると、「そんなの隣の部屋で寝かしときゃいいじゃないの。赤ちゃんだから泣くのは当たり前。」ということだった。

皆がビールやごちそうで盛り上がっている時に、隣の部屋でギャン泣きする子どもの面倒を見るのはわたしだ。

宴会が終わって自宅に戻っても、今度は夜間授乳や夜泣きに対応するのはわたしだ。

姑の発言で、いかにわたしに対しての気配りがないのかがわかった。

わたしや子どもは、義両親にとって彼ら一族が楽しむための、ただの家族要員であるかのように感じた。

ただそこに黙って存在しておけばいい、というような。

義両親は「どうしてこんな大切な日に融通を利かせられないのか?」と怒りをあらわにしたが、わたしは逆に、「どうして乳児がいるのに、その母親が懇願しているのに、たかが宴会を2時間早めることができないのか?」と憤った。

さらに、今回の宴が19時スタートの理由は、「弟一家と昼間出かけるので、夕方はちょっと一休みしたい。」ということだった。

逆上するわたしをもっと苛立たせたのは、常に無関心である夫だった。

まるで他人事。自分は関係ない。

あんたらよくやるよね〜というノリ。

こんな夫婦がいく果ては?

もちろん離婚である。

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わたしだけが我慢することを辞める

義両親が普段から少しでもわたしを尊重してくれていたなら、「1日くらい義両親の希望に付き合ってあげよう。」と思えたに違いない。

現に、何度もその考えはよぎった。

1日だけわたしが我慢すれば、全てはスムーズに終わる。

でも、今まで何度もそれを繰り返してきた。

けど、何も報われなかった。

夫婦関係も崩壊しつつあり、何よりも子どもができたことで意識が変わった。

嫁という立場よりも、母親という立場がわたしを頑なにさせた。

痛い思いをして出産して、ここまで育ててきたのは自分だという自負もあった。

それに、ここで言いなりになったら、今後ありとあらゆる子どもの行事(七五三とか)にも義両親から口出しをされるという心配があった。

「時間を早めないのなら、義実家に行きません。」

と、わたしは夫に宣戦布告をした。

夫が困るのは、わたしとの関係が崩壊することではなく、両親に悲しい思いをさせることだったからだ。

続きは以下よりどうぞ(全9話・未完)

産後クライシスブログ第9話【産後クライシスブログ第9話】 子どもが生まれてから数ヶ月が経ったが、夫との喧嘩は激しさを増す一方だった。 義実家の帰省につ...

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