誰しも「離婚」をするために「結婚」するわけではありません。
当たり前ですよね。
わたしと夫はお互いに再婚同士だったので、「もう離婚なんて絶対経験したくない!絶対あなたを離さない!」なんて・・今では考えられないセリフを言い合っていた時期もありました。
あ、今では考えられないんですけどね・・本当に。
ただ、いざ夫と離婚することになって子どものことを考えると「もしかして離婚を回避することもできたのでは・・?」という気持ちがフツフツと沸き起こってきて、わたしは思い悩むことになりました。
離婚を回避できなかった原因と対策について考えました。
離婚は回避できたか?
いざ、夫と離婚することが決まると初めにこんな言葉が頭に浮かびました。
「どうしてこんな風になってしまったのだろう?」
夫とはずっと離婚をしたくて、一年くらい家庭内別居を続けてきました。
わたしは離婚が決まると、まず子どものことを考えました。
とうとう、子どもを父親のいない子にしてしまうのだな・・と。
わかっちゃいたけどやっぱり辛い。
わたしの頭の中に様々な思いが浮かんでは消えていきました。
「そもそもどこでどうなってこうなったのか?」
「離婚を回避する道はあったのか?」
「どうやっていたら、三人家族のままでいられたか?」
子どもを寝かしつけた後、夫のいない家で黙々と考え続けました。
そこでやっと辿り着いた答えは、
「離婚は回避できなかった」
ということでした(笑)
離婚を回避できない原因(1)どちらかが我慢をして成り立つ夫婦関係
夫と同居している時に、夫と口論した後は無理にでも翌朝謝り、形だけでも何とか夫婦関係を維持しようとしていた頃がありました。
まぁかなり昔の話ですが。
夫婦関係に折り合いをつけるために、常にどちらかが我慢をする毎日でした。
自分を押し殺して波風を立てないようにその場をやり過ごす・・。
そうすると、不満が溜まってくるんですね。
夫婦喧嘩のたびに夫は「毎日我慢している。」と言いましたが、それはわたしも同じでした。
我慢しないと成り立たない関係でした。
離婚を回避できない原因(2)お互いに相手を受け入れることができない
相手の意見や価値観が自分と違っても、「あなたは、わたしと違う人間だからそのままでいいよ。」という風に、そのままの夫(わたし)を受け入れることができませんでした。
自分と違うところを受け入れられないし、相手からも受け入れてももらえない。
これってかなりしんどいものです。
他人だったら離れればいいだけですが、家族だとそうもいきません。わたしは、一番味方であるはずの家族とうまくいかないことほど、孤独で寂しいことはないと思います。
私たち夫婦はお互いに相手を変えようとして、掴み合いに発展するような激しい喧嘩を繰り返しました。
お互いに「相手を受け入れない」という激しい拒絶と我慢を続けました。
そのうち、家庭は安らぎとは程遠い緊迫と怒りに満ちたものになり、お互いに疲弊していったのです。
離婚を回避できない原因(3)夫(妻)に対しての愛情が失せる
夫に離婚を検討している事を伝えた時、夫は一瞬ひどく傷ついた小動物のような表情になった後すぐに笑みを浮かべました。
「へ〜そんな事考えていたんだ。」
と言ってニヤニヤ笑ったのです。
わたしは、その笑顔の裏に「俺だってずっと我慢してきたのによくも裏切ったな。」という怒りがあるのを察知しました。
その日を境に夫は豹変したのです。
結婚記念日には花を買ってきて「やり直したい。」と言いました。
けれどわたしは知っていました。
夫はわたしに愛情なんてない事を。
子どもを手放したくないのと、形だけでも「家族」であることへの執着でした。
夫は、前の結婚で手に入らなかった「家族」に強い憧れを抱いていたのです。
離婚を回避できない原因(4)夫のことを二度と愛せなくなる(生理的に受け付けない)
夫は「今はこんな風だけど、また前みたいに戻れる日が来る。」とわたしに言いました。
ところがどっこい、もう愛せないのです。
戻るとか戻らないじゃなくて、もう無いのです。
どうしたらもう一度愛せるでしょうか?
二度と信用できない人間を。
彼氏で例えてみます。
交際中にトラウマになる程辛い思いをして、相手の顔をもう二度と見たくないほど嫌いになって別れた相手なら、きっと二度と会うことはないでしょう。
それが婚姻相手なら、なぜ一生一緒にいないといけないのでしょうか・・。
もう一度愛せるとでもいうのでしょうか。
トラウマになる程嫌いになった相手をもう一度愛して一生一緒にいるというのは、おそらく生理的に不可能です。
離婚を回避する方法「夫婦関係は愛情があるうちにやり直せ!」
一度失った愛情は二度と生まれない
相手に対し、まだ少しでも愛情があるうちはやり直せる可能性があります。
ただし、お互いに愛情があったらの話ですが・・。
一度失った愛情は、二度と生まれません。
わたしは以前夫との関係を修復したいと思っていたので、まるで暖簾に腕押し(もしくは馬に念仏)の夫に対し、なんとか離婚を回避しようと奮闘していました。
どんなに人格否定されたようと誠意をもって夫に対応し、それでも誠意を卑下にされる辛い日々を重ねていくうちに、気づいたら夫に対して愛情がなくなっていたのです。
愛情は綺麗に消えて無くなりました。
人間ってこういう風にできているんだなと思いました。
夫(相手)がいない方が幸せになったら終わり
じゃあ、なぜ夫に対して愛情があるうちにやり直せなかったのでしょうか?
人間とはそううまくはできていないようで、相手から愛情を感じられずに激しい喧嘩を繰り返していると、心も疲弊してきます。
すると夫から愛されていないと感じる自分に対し、自己肯定や自己尊厳が著しく低下します。
一番身近な家族である夫に拒絶される日々が続くと「わたしは誰からも愛されない人間だ」と本気で思うようになるのです。
毎日が鬱のような気分の中で、わたしは子どもに救われました。
0歳の子どもの世話をしていると「自分は子どもを愛しているし、子どもからも愛されている、必要とされている。」と強く感じました。
次第に“子どもと、子どもから必要とされている自分自身を大切にして生きていきたい”と思うようになり、気づいた時には夫の存在は心から消えていました。
こうなったらもう手遅れです。
「だって、夫と一緒にいない方が幸せだから。」
「夫と一緒にいない方が平穏で安らぐから。」
きっと夫もそうだと思います。
だからせめて、お互いに愛情があるうちが関係を修復できる期間なのです。